Joeの精進記録

旧:競プロ練習記録

ポエム19/04/05

ポエムです。

先日院に進学しました。なんか教授たちが、院生は実質プロの研究者(煽りの文脈ではない)なので、 自覚をもって社会に還元すべく研究をしてください、みたいなことを言ってて、もう自分もそういう段階なのかーという気分になりました。これについていろいろ考えてしまったので文章にしてみようかなと思います。

はじめに、ぼくはかなり理想を追い求めてしまう性格です。自分のスキル・才能を伸ばそうみたいなことはあまり追い求めていなく、むしろ足りないところや、かっこいい/うらやましいと感じた物事に手を出しがちです。 数学は中学のときからもともと得意ではなかった(理科系は才能があったようで、少なくとも学校ではあまり苦労した記憶がない)のですが、数学ができる人がかっこよくて、高校後半からはずっと数学ばっかりやっていましたし、大学に入ってからはそれが情報科学になりました。

正直、自分がコンピュータ科学が得意だとは別に思っていません。でもコンピュータ科学には自分の憧れる分野、勉強していてワクワクする分野が多く、しかも優秀すぎる先輩方の数々話を聞くと、日々それなりにモチベーションは保たれます。

こういう性格をしているからこそ、これまで向上心を保ち続けることができた気がしますが、何かと要領が悪い生き方をしているなあという自覚はだいぶあります。まあそれは別に社会に何かを還元する責務が生じないうちは別にいいことだと思うんですが、研究者もしくは将来社会人として仕事をしていく上では、もう自分の興味だけで理想を追い続けている場合ではないなあと思うのです。これはハイクオリティなものを社会にアウトプットできるかという点だけから言っているのではなく、自分のためでもあります。

正直、理想を追い続けるのはだいぶ疲れます。もともと才能がある分野をやるなら、特に無理をせずアウトプットし続けられると思いますが、ちょっと背伸びをしてやっとインプットできるレベルの分野でアウトプットするのは難しすぎますし、こういう分野を専攻してよかったのかなと思うことさえあります。

これは昔から思ってたことなんですが、社会人になったらこういった性格をやめようかな、と思っています。なんかパートナーなり、家庭なりに全力を注いで、勉強や仕事は二の次にしたほうが気楽なんじゃないかなと思うことが多いです。

大学に入ってから気づいたことですが、大学院までの課程は”制限時間”がある分、多くのことに諦めをつけやすい環境です。たとえばIOIやICPCといった世界大会を目指してずっと精進している学生は多いと思いますが、いくらもがいても手がとどかない状態だったとしても、いずれ時間が彼らを諦めさせることができます。いいですよね。しかし、勉強関連以外の多くのことにおいて、制限時間は実質一生というものが多く、そういったことにおいて手がとどかない場所を目指し続けるのは心身ともに疲弊します。だからこういう性格をやめたいです。

今期の履修登録科目も、全部数理系の理論で埋めてしまったので、GPA崩壊も覚悟しているんですが、こういうことをするたびにここに書いたような気持ちが蘇ります。高校の時や学部のときは、今は考えなくていいやと思っていたんですが、そろそろ向き合わなきゃいけない時期だなあと思った次第です。

なんかコメントしてくださる方、もしここに書きづらいようであればDMでどうぞ twitter.com